以前は、こうすると幸せというような社会の定義がある程度決まっていたように思います。
例えば女性は結婚して子どもを産んで、というようなこうすると「幸せ」ですよと決められていて、みんなそこに向かって一生懸命過ごしていたんじゃないかと。
民主主義も浸透しきって、社会が発展して、いろいろな自由を手に入れたわたし達は、幸せの形も人によって違うと主張をはじめました。
この主張はとても立派で、信仰の自由もあるし、他人に迷惑をかけない限り、自分が感じる幸せを探求していくことには大賛成です。

一方で、今まである程度社会が決めた幸せに沿って、生きていたこともあり、自由に感じるままに生きるということは、
どこが一番で、これは幸せなのかを自分で決めないといけなくなってしまいました。
幸せとは、安心感や満たされた感情、不安のない状態の総合体だと筆者は考えており、自分の中だけでは、絶対的な尺度を確立することができないため
絶対的な幸せを継続的に感じていることが難しくなったのではないかと思います。

これは、幸せなのだろうか?と考えている時点で、不安や心配など考えがよぎり
100%の幸せを感じることが難しい状況ではないかと思います。

その結果、本当に満たされた状態というのは継続的ではなく、ふとした瞬間の何も心配や考え事をせずに
おいしいご飯を大好きな人たちと一緒に楽しく食べる、結局これがみんなの共通の幸せなのかなと思っています。

いろんな欲求が一度に満たされた瞬間、これが一番の幸せなんじゃないかと思う今日この頃です。セブンデイズカラースムージーの効果が知りたい。